昭和38年来、地域開発政策のひとつとして原子力発電所の適正配置を検討し続けてきた国は、毎年3ないし5か所の適地条件調査を進め、東北地方では秋田県能代市、青森県東通村、山形県鶴岡市の3か所が候補地に挙げられていた。こうした情勢に刺激されて本県にも原子力発電所誘致の機運が高まり、県は国からの委託を受けて県内適地調査を実施することに決定した。
この調査に当たって県が当初選んだ候補地は、本町の小屋取地域と御前地域及び北上町相川地域の3か所である。やがて、地形・地質・交通・気象などの諸条件を総合判断して最終的に調査地を小屋取地域に絞り、地質調査を中心とする本格的な調査に取り掛かった。その結果、原子力発電所が持ついくつかの制約条件に照らしても、なお適地であるとの判断に達し、昭和42年4月17日、女川町小屋取地域(鳴浜を中心とする)が適地であると正式に発表した。
小屋取地域を適地とする県の発表後、予備調査の段階から町の活性化の目玉として原発誘致を考えていた町は、県に対して誘致を陳情するとともに、昭和42年7月3日の女川町議会定例会の行政報告においてこの間の事情を詳しく述べ、誘致への意欲を表明している。これが町議会での原発誘致問題の正式な表面化と考えられる。ついで、第4回定例会(8月11日)における行政報告を経て、第5回定例会(9月30日)では議員提出による「原子力発電所誘致に関する決議案」が満場一致で可決された。これより2日前の隣町牡鹿町議会が同様決議を行っており、続いて12月10日には石巻地方1市9町の首長が連名で県議会に原発の誘致を請願、23日の県議会で採択されている。
翌43年1月5日、東北電力が「原子力発電所建設地点として女川を決定」を発表した。
資料:女川町史(続編)から抜粋