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平成24年11月12日掲載
東日本大震災、大津波が女川を襲う
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が発生。そのおよそ30分後、20mもの大津波が女川町を襲い、またたく間に市街地の大部分をのみ込みました。 猛烈な濁流に砕け散る家屋、流される漁船、そして800名を超える尊い町民の生命…。 筆舌に尽くしがたい光景が眼の前に広がりました。人知を超える自然の驚異に、為すすべもありませんでした。 |
平成24年11月12日掲載
変わり果てたまちの姿に呆然、避難所生活始まる
数回にわたる津波の襲来の後、今やただのガレキと化した家々と、ボロボロになった鉄筋ビルばかりが残る、故郷女川の変わり果てた姿がそこにありました。誰もが言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。 町民には、愛する家族や帰るべき家を失った方も多く、加えて避難所での厳しい環境は、人々から再び立ち上る気力すらをも奪っていきました。 |
平成24年11月12日掲載
支援物資が次々と、避難所の生活環境も徐々に改善
被災後間もなく、自衛隊や警察、消防などによる救助活動が開始されました。また、ガレキ撤去による陸路の復旧により、国県だけでなく全国各地からも支援物資が次第に届くようになりました。 また、発電機による電気の供給開始や自衛隊による仮設浴場の設置など、劣悪な避難所環境も徐々に改善され、町民の顔にも明るさが戻り始めました。 |
平成24年11月12日掲載
深夜に襲った大きな余震、仮設住宅の建設も始まる
被災から間もなく1月という4月7日深夜、震度6強の余震が被災地を揺らし、数日の間電気が止まるなど再び不便な生活を余儀なくされました。 一方で、路線バスなどが運行を開始。ようやく町外との公共交通が確保されます。避難所ではボランティアによる炊き出しや物資配給も頻繁に実施されるようになり、仮設住宅の建設も始まりました。 |
平成24年11月12日掲載
「女川町復興計画策定委員会」開催
5月1日、福島大学名誉教授 鈴木 浩氏を会長とする「第1回女川町復興計画策定委員会」が開催され、女川の復興を防災、産業、住環境を基本テーマとして協議しました。 今後は、8月上旬までに復興計画の素案をまとめる計画です。 〈女川町復興計画策定委員会委員構成〉 町内関係者・・・5名 学識経験者・・・5名 国県関係者・・・2名 アドバイザー・・2名 |
平成24年11月12日掲載
魚市場が再開、復興の明かり灯す第一歩に
7月1日、震災で営業を休止していた女川魚市場が再開し、久しぶりに威勢のよいセリのかけ声が響きました。女川は全国有数の水産業のまちです。市場に賑わいが戻ったことは、町民の心に復興の明かりを灯す第一歩となりました。 また、この日鷲神地区に「コンテナ村商店街」がオープン。この商店街は、震災後町内に初めて開設された商店群で、町民はやっと町内での買物ができるようになりました。 |
平成24年11月12日掲載
役場仮設庁舎で業務を再開
7月19日、役場仮設庁舎で業務が再開されました。旧役場庁舎が津波で全壊したため、これまで女川第二小学校の教室を間借りしてきましたが、仮設庁舎の完成で役場業務も復旧し、今後は快適な環境のもとで住民皆さまにご利用いただけます。 〈仮設庁舎所在地〉 〒986-2261 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原316番地 ・225-54-3131(代表) |
平成24年11月12日掲載
「がんばっぺ女川盆まつり」開催、慰霊風船830個の打ち上げも
8月1日、女川町復興連絡協議会主催の「がんばっぺ女川盆まつり」が開催。子ども用浴衣300着の無料配布や慰霊風船830個の打ち上げなど、会場内では震災で犠牲となった方々を追悼するとともに、久々のイベント開催ということもあって、多くの町民が集いました。 最後には、慰霊の盆踊りと花火で、暑い夏の1日を締めくくりました。 |
平成24年11月12日掲載
女川町復興計画が議決、8年計画での復興を目指す
8月10日、第5回目となる「女川町復興計画策定委員会」が開催され、鈴木 浩会長から安住宣孝町長へ女川町復興計画の最終答申が手渡されました。 答申の主な内容は、復興期間を復旧期2年、基盤整備期3年、本格復興期3年の計8年とし、「防災」「産業」「住環境」「医療・保健・福祉」「人材育成」の5本柱で復興を成し遂げていくというもので、9月15日の町議会で議決されました。 |
平成24年11月12日掲載
第14回おながわ秋刀魚収獲祭
10月2日、「第14回おながわ秋刀魚収獲祭」が開催され、会場内には脂がのったサンマを炭火で焼く香ばしい匂いが漂いました。 震災前、このイベントは町内外から5万人もの来場を記録する秋の一大イベントでした。震災によりサンマの水揚げも制限されるため、規模を縮小せざるを得ませんでしたが、多くのお客さんで賑わいました。来年もぜひご来場ください。 |
平成24年11月12日掲載
マリンパル女川おさかな市場営業再開!
10月7日、震災で休業を余儀なくされていた「マリンパル女川おさかな市場」が、場所を移転して営業を再開しました。 8日と9日に開催された「復興祭さんま祭り」には、再開を待ち望んでいた多くのお客さんが訪れ、名物のサンマ炭火焼きやすり身汁を味わっていました。 〈おさかな市場移転先〉 女川町浦宿浜字篠浜山2番地 ・225-54-4714 |
平成24年11月12日掲載
我歴stock(ストック) in 女川~復興編~
10月30日、女川福幸丸が主催する「我歴stock(ストック) in 女川~復興編~」が開催されました。 女川福幸丸は、女川の復興を心から願う若者たちが立ち上げた団体で、仕事を終えてから毎晩のように企画を練り上げ、ようやく完成したのが、この音楽イベント「我歴stock」です。 「生まれ変わってゆく故郷女川にふさわしい新たな祭り」として、来年以降も継続していく予定です。 |
平成24年11月12日掲載
仮設住宅マーケット・オープニングセレモニー
11月6日、女川町の応急仮設住宅がすべて完成し、12日には音楽家の坂本龍一さんや日本画家の千住 博から寄贈された仮設住宅マーケットのオープニングセレモニーが町民野球場仮設住宅で開催され、多くの町民がその完成を祝いました。 〈女川町応急仮設住宅設置状況〉 町内27か所・石巻市内3か所 計30か所 1,285戸(福祉仮設住宅を除く) |
平成24年11月12日掲載
「小さくてもキラリと光るまちづくり」安住宣孝氏が勇退
3期12年にわたり女川町長を務めた安住宣孝氏が勇退されることとなり、11月11日に退任式が行われました。 安住町長は、平成11年に初当選以降「小さくてもキラリと光るまちづくり」を掲げ、震災後も自ら陣頭指揮に当たりつついち早く高台移転の必要性を提言し、女川町復興計画をまとめ上げました。 12年間本当にお疲れさまでした。 |
平成24年11月12日掲載
須田新町政がスタート!
11月14日は、復興に向かう女川町にとって大きな節目の日となりました。安住宣孝町長の勇退にともない、須田善明町長が無投票で初当選を果たし、初登庁の新町長を町職員が総出で迎えました。 また、町議会議員選挙の投票も併せて行われ、震災前から定数を2減した議員12名体制として、須田新町政はスタートを切りました。 |
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電話:0225-54-3131
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