町がまるごと生まれ変わろうとしている今、
この町からスタートしているのは列車だけではない。
仕事も駅も商店街も、そして人も、
マイナスから立ち上がり、
あたらしいスタートを切っている。
女川はこれまでも、だれかの、
あたらしいスタートによってつくられてきた。
同時に、みんなの、
あたらしいスタートを受け入れてきた。
町も、人もいつだってスタートできる。
あたらしい事業を始めたい人にも。
あたらしい生活を始めたい人にも。
あたらしい何かを始めたい人にも。
豊かな海、山、川に囲まれたこの町には、
あたらしいスタートに挑戦している人たちがいて、
あなたのスタートを応援する温かい人たちがいる。
女川は、すべての人の
あらゆるスタートを応援する街になる。
女川とは?
女川町は、宮城県の東、牡鹿半島基部に位置し、東日本大震災により被災した三陸地域に創設された「三陸復興国立公園」地域に指定されています。奥州三大霊場の一つである「霊島 金華山」は、近年パワースポットとしても人気があり、女川港から定期船が出ています。
北上山地と太平洋が交わる風光明媚なリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキやホタテ・ホヤ・銀鮭などの養殖業が盛んで、世界三大漁場の一つである金華山漁場が近いことから、魚市場には年間を通じて暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされています。
歴史深い出島・江島の島巡りや釣り・ダイビングが楽しめるほか、自然の香りが心地よい山々には希少な山野草が多く生息します。
「女川」の由来は、前九年の役の頃、豪族、安倍貞任が源氏方の軍と戦った際に、一族の婦女子を安全地帯である「安野平」に避難させたことから、この地から流れ出す渓流を「女川」と呼び、のちに地名になったと伝えられています。
また、女川港は古くから天然の良港として知られ、慶長16年(1611年)のイスパニア使節による三陸沿岸の探検測量時の文献に「石浜」と「浦宿」の地名が記されていて、明治18年(1885年)の英国ハミルトン将軍率いる東洋艦隊の初入港の際にも、軍艦の停泊に最適として世界中に紹介されています。
近年では、新鮮な魚介類を活用した観光産業を中心に、多くのみなさんに足を運んでいただいていましたが、平成23年3月11日の東日本大震災により、町中心部は壊滅的な被害を受けました。現在、急ピッチで復興まちづくりを進め、新しく生まれ変わった女川駅商業エリアを中心にかつてのにぎわいがもどってきました。
自然に包まれ、活気に満ちたこの港町は、あなたのスタートを世界一応援します。
魅力がぎゅっと詰まったフレッシュな町・女川であなたも暮らしてみませんか?
-
女川駅・女川温泉ゆぽっぽ
-
女川フューチャーセンターCamass
-
シーパルピア女川
-
女川駅前レンガみち
-
地元市場ハマテラス
-
女川魚市場
-
サンマの水揚げ
-
イサダの水揚げ
-
伝統芸能・獅子振り
-
黒森山登山について
-
スターダスト・ぺージョント「海ぼたる」
-
レンガみちの先に昇る初日の出
すみやすいまち、女川
震災後、まちの整備が進むにつれ、電車やバスなどの公共交通機関が整い、また様々な店舗が建ったことで買い物や通院が身近になりました。女川町の復興まちづくりの特徴として、小・中学校や商業施設、行政機関など、生活に関わる様々な施設を集約しており、その結果がすみやすさの向上につながったと言えます。
また、実際に女川町の住みやすさを住民の方に評価していただいたところ、以下のようになりました。
【住みやすさ】

【これからも住み続けたいと思いますか】

女川町総合計画2019より
このように、住みやすさに対しては「住みやすい」「どちらかといえば住みやすい」の割合が60%を超えており、また住み続けたいかという問いに対しても、60%の方が「ずっと住み続けたい」と回答いただいております。
実際に住んでいる住民の方からの評価からもわかるように、女川町には、住み続けたいと思える住みやすさがあります。豊かな自然、充実した子育て支援制度、快適な買い物環境など、「暮らしやすさ」が詰まった女川町で、あなたも暮らしてみませんか。
地方に関わるきっかけプログラム(NPO法人アスヘノキボウ)
「まだ何ができるか分からないが、地方と関わる新しいチャレンジを考えてみたい」「地方と関わる仕事や活動をしたいが、何から始めたらよいかわからない」「これからの新しい地方や日本の在り方について考えてみたい」といった方へ提供する、自分なりの地方とのかかわり方を考えるための2泊3日のプログラムです。