女川町誌 続編
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は、三十一年一月一日施行のいわゆる原子力三法(原子力基本法、原子力委員会設置法、総理府設置法一部改正法)のうち、原子力憲法ともいうべき原子力基本法の中に明示されている。 原子力三法の施行による原子力委員会の設置と相前後して、日本原子力研究所(原研)、原子燃料公社(四十四年に動力炉・核燃料開発事業団に吸収される)及び放射線医学総合研究所が発足し、これに伴って原子力予算も昭和三十一年度約二〇億円、三十二年度約六〇億円と急激に膨張した。 昭和三十一年、茨城県東海村に敷地を決定した原研は、ノース・アメリカン航空会社製、熱出力五〇㌗の沸騰水型「JRR―1第一号実験炉」によって、翌三十二年八月二十七日、わが国初の「原子の火」をともすことに成功した。この時の熱出力はわずか六〇ミリ ワットに過ぎなかったが、十一月には定格出力を上回る六〇㌗を達成することができた。記念すべきこの一号炉は、四十三年、老朽化のため運転を停止するまでの一二年間、広く研究者や技術者に開放され、多くの分野で研究に利用されるとともに、電力各社などの原子炉運転員の養成にも大きな役割を果たした。 原研は「国産一号」と銘打って開発を急いだ実験炉JRR―3こそ、日立製作所のHTR(熱出力一〇〇㌗、スイミング・プール型)に国産原子炉第一号の名誉は譲ったが、昭和三十八年十月二十六日、動力試験炉JPDR(ゼネラル・エレクトリック社製、最高電気出力一万二〇〇〇㌗)による初送電に成功し、原子力発電の実用化に画期的な一歩をしるした。「原子力の日」はこの日を記念して制定されたものである。 さかのぼって、昭和三十二年、諸国に先駆けて商業原子力発電を手掛けていたイギリスからコーダーホール型動力炉(ガス冷却炉)を導入するため、九電力会社を中心とした民間主導の日本原子力発電(株)が発足し、昭和四十一年にはその東海発電所が営業運転を開始した。 57
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