女川町誌 続編
73/596

営の災害復旧埋立工事を指して、のちに、木村町長は「災いを転じて成した福」と表現していたという。 第五節 津波恒久対策事業 被災港湾の津波恒久対策として、防潮壁方式(海岸線に沿ってコンクリート防護壁を築造し、数か所に水門を設置し、平常は開き、津波来襲時には閉じる。港湾と漁港諸施設はその防護壁の外側に造られる)によるか、防波堤方式によるかが問題となった。昭和三十五年七月の国の現地査定では、一応水際線に沿って防潮壁を築造する案が採択となり、事業費として漁港関係(農林省)四億五五八万七〇〇〇円、港湾関係(運輸省)一億四四九〇万円が決定された。ただしこの金額は、再検討によって防波堤方式に変更された場合には、それに振り替えるという含みを残すものであった。 港湾・漁港都市として歩み続け、発展を図ってきた本町としては、地盤上三・〇㍍という防潮壁の築造は、港湾及び漁港としての機能に大きな制約を受けることになり、とうてい容認できるものではなかった。そこで、極力防波堤方式への変更を県・国に働きかけることにしたが、それにはまず学問的な裏づけが必要と考え、東北大学理学部物理学教室に防波堤方式の効果についての模型実験を委託した。加藤愛雄教授を中心とする同教室の実験結果から、既存の防波堤をかさ上げして水深二五㍍地点まで延長し、さらにその対岸(小乗側)に同水深まで新防波堤を築造した場合、津波による市街地の浸水は完全に食い止めることはできないにしても、被害は相当に軽減されるであろうという 41

元のページ  ../index.html#73

このブックを見る