女川町誌 続編
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第一節 チリ地震津波の概要 チリ地震津波は、昭和三十五年五月二十三日午前四時一〇分(日本時間)、南米チリ沖で発生したマグニチュード八・五という最大級の地震によって引き起こされた大津波である。この津波は途中ハワイ諸島その他の太平洋諸島を襲ったうえ、約一昼夜を経て一万七〇〇〇㌖余を隔てたわが国太平洋岸に襲来した。この津波による死者・行方不明者は全国で一三九人、被害総額は二六〇億円に達した。本町は人的損害こそ免れたものの、被害額では全国の一割に近い約二五億円に上り、経済的打撃は極めて大きかった。本町の昭和三十五年度一般会計当初予算額が約一億一〇〇〇万円であったことを思えば、被害の深刻さの一端が容易に想像できよう。 この津波は、体感地震を伴わない津波として、また、波の周期の異常に長い津波として、当時の人々には経験のない型のものであり、それだけに、沿岸住民の受けた精神的ショックは大きかった。しかし、この種の津波はこれまで皆無だったわけではなく、最近の研究によれば、被害こそ小さかったが、過去六回もチリ地震による津波がわが国沿岸に達しているという。「勇蔵日記」として知られ、女川町文化財の指定を受けている「万よろずふしきの事扣ひかえ覚帳おぼえ」の中に、「同年号(天保八年)十月十一日の夜の九ッ時より大津波入込申候て大騒仕候、此時は地震もゆらずに津波斗ばかり入込申候」とある津波も、チリ地震によるもののひとつであることが宇佐美達夫東大名誉教授によって確認されている。 32
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