女川町誌 続編
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である。相変わらず夢ばかり追いかけていた。 |が、そうかと言って足が地についていないわけではなかった。学校から帰るとカバンをほうり投げて両親の手伝いをした。父は初めはカキの養殖をした。次はワカメとホタテであった。カキむきもした。桟橋から上がるワカメをリヤカーに積んで運んで干したりした。夏にはカキの貝がらに穴をあけてそれを母と針金で通したりした。とにかく現実は忙しかった。そのお蔭で今も労働は少しも苦ではない。 父は小乗浜の「浜の家」という、鰹の不漁で没落した名門の一人息子であった。今の鳥居からちびっこ広場迄他の屋敷を通らないで家についたそうだ(その地番は今でも残っている)。先日亡き父のカバンの中から一枚の契約書が出てきた。それは祖父木村八兵衛の発動機据付西洋型船の造船契約書であった。日付は大正十年八月二十八日で契約額は二七〇〇円とあった。 祖父は漁師をしていて、朝三時頃になると浜に立ってホーホーと叫ぶのだそうだ。そうすると浜の男達が起き出してくる。その声は石浜へ嫁いでいった娘の所まで聞こえたそうだ。その話を聞いた時、昔の漁師の生活を垣間見る思いであった。 父は若くして一旗揚げるべく樺太へ渡った。そして努力の末(帰って来るつもりがなかったからか)人手に渡ってしまっていた土地の中で家屋敷のみを祖父の為に買い戻した。戦後、その家へ私達は帰って来たのであった(当時のお金で二二〇〇円であった)。 海を初めて見たあの時の感動は実に不思議であった。まずその広さに驚いた。成長する内に自然の美しさに触れながらも、自然の恐ろしさも感じた。―が、女川の四季折々の恵まれた自然は美しく雄大であった。釣り糸を垂れてエサをまくと、いけすに飼っている様に鰺や小鯖が群をなして寄って来た。それを笩の上で見ながら釣りをした。日の出と共に父と帰る頃海がキラキラと輝き出す。鰺はタタキなますとなりすぐ朝の食卓に出た。 539

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