女川町誌 続編
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この年宮城県では、東北振興のためのインテリジェント・コスモス構想の発表、仙台市の政令都市を目指す周辺市・町との合併推進、仙台市営地下鉄の開業、専修大学の石巻市進出本決まりなど、明るい話題が多かった。 本町では、須田町長が無投票当選で引き続き町政を担当することになり、懸案であった水産観光センター(仮称)の設置、出島架橋などの実現を目指して二期目の力強い第一歩を踏み出した。センターの用地は、国の急傾斜地対策事業と噛かみ合わせ、その対象となる堀切山切り崩しの排土による、鷲神地先の公有水面の埋め立てで造成することにした。これで、採土地の公共用地利用、急傾斜地の危険解消と合わせて、一石三鳥の効果を上げることになる。この計画は、急傾斜地対策事業が平成元年度予算に盛り込まれたことで、実現のめどはついている。 この年の夏、青函鉄道連絡航路の廃止に伴う連絡船の売却が報道されると、町民有志から、そのうちの一隻を誘致して観光の目玉にしようという署名運動が起き、町議会への請願書が提出された。請願に対する賛否をめぐって議会もかなり紛糾し、一時はそれぞれの考えを直接町民に訴える文書が配布されるなどの騒ぎになった。しかし、結局は民間側に十分な受け入れ態勢が固まっていなかったため、この請願は日の目を見ることなく終わった。一方、町を挙げての組織として前年結成された出島架橋期成同盟の活動を受けて、町当局は架橋の青写真を作成するとともに、国・県への働きかけを始め、架橋実現への努力を強め、翌六十三年には架橋を前提とするアクセス道路の建設が県の平成元年度事業予算に組み込まれるという成果を上げることができた。また、平成二年に本県で開催されるインターハイの女子ソフトボールの会場に本町運動公園が決定し、そのための準備委員会が発足した。 昭和六十三年二月、遷都をテーマにした民放のテレビ番組で、大阪商工会議所会頭の佐治敬三サントリー社長が「東北は熊襲の産地、文化の程度も低い」と発言し、東北の人々の憤慨と反発を招いた。六月にはリクルート疑惑が表面 25

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