女川町誌 続編
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後ろに腰かけてゐる細君が客の一言毎に笑ひこける。言葉でも分らないやうに、どんな悪口をいはれても笑ひこける。民国人は猛然として、「あんた、悪口いふ、買はない、ケチある。」此店が見てゐるうちにばたばた・・・・売れる。氷屋の土間で桃割れの娘がチヤアルストンを踊る。鶏とりの羽ばたきのやうに後じさりする。戸障子をあけひろげて船乗りばかり十五六人の酒もりをやってゐる家の前に私も立って見てゐる時、ぱっと電灯が消えた。町中に起る叫び声。この停電が二時間にわたる。闇が海までつゞく。店々の蠟燭ろうそくがこの町の媚態びたいを深め、酔った群衆のどよめきが今は全くマルセイユ式となる。やがて町の角々で大きな焚火がはじまる。それが逆光線の効果をつくる。暗くなったシネマの小屋から頻しきりに拍手がきこえる。演説の声がする。あとで聞くと、女川ホテルの主人が臨機の政談演説をやったのだといふ。「御料理」の二階からありとあらゆる唄がひびく。おけさの余韻が汽笛のやうに女川湾に反響する。私はぐたぐたにくたびれてホテルに帰った。ホテルの所在も焚火で見当をつけたのであ る。女中さん達がすっかりお化粧をしてゐる。私の部屋は一番奥で一番暑い。部屋の窓から首を出すと、女川の闇黒あんこくの空にきれぎれな人間の声が消えてゆく。海がかすかに光り、夜航の漁船でもはひって来るのか紅緑の舷灯らしいものが沖に明滅する。私は此夜見かけたいろいろの群像を幻想の中で勝手に構成してみる。エネルギイそのもののやうな鮪と女との構図をいつか物にしたいと思ふ。下の食堂は今がたけなはらしい。534

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