女川町誌 続編
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「よしきり鮫ざめ」のあることを教えられ、強く心を動かされたとのことである。 昭和六十一年十月の除幕を目指しての計画で、募金は順調に進んだものの、二〇〇〇字に及ぶ本町関係分の全文を刻むという当初の考えは問題もあり、実現は大きく遅れた。最近に至って、高村光太郎研究の第一人者、北川太一氏の助言により、「三陸廻り」中の文・句を抜粋、編集し、「昼の部」「夜の部」の二文と、短歌一首をはめ込んだ巨岩を主碑に、「よしきり鮫」「霧の中の決意」の光太郎自筆原稿を刻む二基の詩碑を、海岸公園に建立する方向で具体化が進んでいるようである。 本誌には「三陸廻り」の本町関係分二編と、「よしきり鮫」の自筆原稿を収め、詩人の来町を長く後世に伝えることにした。 五 女川港 牡鹿半島のつけ根のぎゅっ・・・ とくびれて取れ相な処、その外側の湾内に女川がある。船で廻ると一日がゝりだが石巻からバスでゆけば水産学校のある渡波を通りぬけ、塩田のある万石浦に沿って二時間足らずの道程だ。朝七時に出ると九時には着く。女川で船を見つけるつもりで出かける。女川湾は水が深くて海が静かだ。多くの漁船が争って此の足場のいゝ港へその獲物を陸上げする。海岸には東北水産株式会社といふものが巨大な清潔な魚うお市場を築造して漁船を待ってゐる。三陸沿岸では一番新しい一番きれいな陸上げ場だ。女川は極めて小さな、まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちてゐる。活発な魚類の取引を見てゐると今に釜石あたりをも凌しのぐ様になるかも知れない気がする。と 531

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