女川町誌 続編
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遺跡は、昭和六十年(一九八五)に女川町教育委員会が行った文化財パトロール調査の際に発見された。島の中央部の低い部分の南側急斜面に東西三〇㍍×南北七〇㍍にわたって黒色土層がみられ、約三〇 センチメートルの堆積をもつ。この土層から、多数の遺物が採集された。斜面下方の波打ち際にも遺物がみられ、崩れ落ちているものもあるようである。遺構は認められない。 正式な調査は実施していないが、遺物包含層中に長い時代にわたる遺物がみられることは、常に人々が来島していたことを物語っている。 〔時期・型式名〕縄文時代前期(大木1・4)・中期(大木8)・後期(南境)・晩期(大洞A)、弥生時代後期(十三塚・天王山?)、奈良時代(国分寺下層)、平安時代(表杉ノ入) 〔人工遺物〕土器|縄文土器・弥生土器・土師器、石器|石皿・凹石・磨石・有孔石製品 〔保管〕女川町教育委員会 文献 茂木好光「女川町平島遺跡」『石巻地方研究』第三号 (一九九〇) 526

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