女川町誌 続編
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○島嶼とうしょ地域 45 出島貝塚(いずしま) 〔別称〕山下やました貝塚、四子よなご館貝塚、出島配石遺構?を含む。 〔所在地〕女川町出島字合あいノ浜はま 〔概要〕出島のほぼ中央部の本土寄りにある。西方に突き出る丘陵先端部に位置する。標高二〇~四〇㍍で東西一〇〇㍍×南北七〇㍍の広がりの遺跡である。 昭和三十五~三十九年、四十五~四十八年に小牛田農林高等学校郷土研究班(担当、故辺見鞆へんみとも高たか氏)が本遺跡を継続的に発掘調査している。 遺跡内には、北側急斜面の山下貝塚と南斜面の四子館貝塚の二か所の貝塚がある。山下貝塚はカキやシウリを主体とする貝層で、縄文時代後期を中心とする前期から形成されたものである。反対斜面の四子館貝塚は前期・中期を中心とする時期である。 また、丘陵台地上の北側に岩石の集積がみられる。これは女川町の協力を得て、昭和三十五年(一九六〇)同 研究班が調査を行い、〝支石しせき墓ぼ〟で配石遺構の可能性があると報告している。 さらに平成元年に県道の改良工事計画に関する遺跡保存協議のため、四子館貝塚側の斜面で確認調査が県文化財保護課によって行われている。縄文時代後期(南境・宝ヶ峯)の土器を中心に、晩期(大洞C2)・弥生土器・土師器等が採集され、斜面の下の浜からも焼け面と製塩 516
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