女川町誌 続編
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トの建っている場所でも、畑であった時には縄文時代後期(南境式)の土器が散布していたという。さらに、同アパートの南側の国道に近い斜面でも整地をする際に、石囲いを伴う焼け面が検出されたという。赤茶けた土器も一緒に出土しているらしく、製塩遺構の可能性も高いと思われる。 今現在、付近一帯は宅地化され遺跡の面影をしのぶことはできないが、人々が時代とともに海岸部に居住する場所を移していったことがうかがい知れる貴重な遺跡である。 〔時期・型式名〕縄文時代中期(大木10)・後期(南境、宝ヶ峯)・晩期(大洞C?)、古墳時代(住社すみやしろ)、平安時代(表杉ノ入) 〔人工遺物〕土器|縄文土器、土師器、須恵器、製塩土器?石器|石鏃、土製品|土偶、紡錘車ぼうすいしゃ? 〔保管〕照源寺 36 高森A遺跡(たかもり) 〔所在地〕女川町石浜字高森 〔概要〕女川港の北岸の東側寄りに丘陵に挟まれた浅い埋没谷がある。標高一〇~二〇㍍前後で東西一〇㍍×南北一〇〇㍍の谷地形に沿った範囲にある。熊野神社の西側の低地になる。 以前畑から遺物が採集されたが、現在は宅地になっており遺跡は破壊されている可能性が大きく、詳細は不明である。 〔時期・型式名〕縄文時代・弥生時代 〔人工遺物〕土器|縄文土器、弥生土器 〔保管〕太田昭夫 37 高森B遺跡(たかもり) 〔所在地〕女川町石浜字高森 〔概要〕女川港の北岸の東寄りの南西方向に突き出た丘陵の南東斜面にある。標高八~二〇㍍で東西一〇〇㍍×南北四〇㍍の広がりをもち、斜面の中腹部から低地にかけての一帯である。熊野神社の東側にあたり、斜面中腹 506
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