女川町誌 続編
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〔別称〕手て戸ど森もり遺跡ともいう。 〔概要〕女川湾の最奥の西海岸にある鷲神に位置する。 丘陵の標高四〇㍍の北斜面一帯に、東西五〇〇㍍×南北一〇〇㍍の範囲で広がる。西は変電所付近から東は黄金座裏の台地まで及んでおり、縄文中期を中心とする多数の遺物が採集されている。特に、磨製石斧の出土量では町内随一といってよく、東側の手戸森囲の斜面からは三〇個以上もまとまって出土したといわれる。石器の生産地とも考えられる。また、大型の石棒が二点出土している。町内では直径が一〇 センチメートル以上のものはほかになく、特別な祭祀さいし関係に使用された可能性が高い。現在は宅地化が著しく進んだため、赤茶けた地肌がみられ遺跡は湮滅状態である。発掘調査などがなされていないため詳細については不明であるが、遺物量や遺物の性格からみて、町内で最も規模が大きく、経済・文化活動の中心的存在地としての縄文中期集落であったと考えられる。 〔時期・型式名〕縄文時代前期・中期(大木7a・8・9・10)・後期(南境・宝ヶ峯)・晩期(大洞C2)、弥生時代、 501

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