女川町誌 続編
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で畑が広がっていたという。現在はJR石巻線が通っており、周辺も宅地化が進んでいる。 三宅太たい玄げん・宗議氏によると、昭和四十四年(一九六九)に庫裏の裏で、墓地の崖がけ面から黒色の炭化物が内側に付着した赤褐色の陶器壺つぼが発見されたという。また、山門 内に室町期と考えられている板碑いたびが一基あるが、これは山門に昇る石段の北側にある墓石群に交じっていたものがいったん山門右側に置かれ、現在の場所に移動されたものであろうという。照源寺で保管されている鎌倉時代の洲す浜はま牡丹ぼたん蝶ちょう鳥ちょう鏡も、本来は山門の付近から延びる南側丘陵の台地上にあった古墓の改葬の際に発見されたものであるという。女川第一小学校から東に五〇㍍ほどの位置にあったらしいが、板碑等の存在も考えられる。 〔時期・型式名〕鎌倉時代~江戸時代末期 〔人工遺物〕陶器(壺)、銅鏡(円鏡) 〔保管〕照源寺 文献 石巻文化センター『鏡の歴史展』(一九八七) 15 針浜経塚(はりのはま) 〔所在地〕女川町針浜字針浜 〔概要〕針浜集落の東奥の緩やかな丘陵西斜面の中腹部にある。針浜から小浦に抜ける旧道のかたわらの畑に位置しており、花坂遺跡の範囲に含まれている。標高一〇 482

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