女川町誌 続編
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貝層である。東西に一〇㍍程の広がりをもち、西側にもっとも厚い六〇 センチメートルほどの堆積たいせきがみられる。貝層中からは縄文土器(大洞A)、土師器、須恵器、鉄製刀子とうすが採集されている。縄文時代晩期、奈良時代(国分寺下層)の貝層の可能性がある。 〔時期・型式名〕縄文時代前期・晩期(大洞C2、A)、弥生時代、奈良時代(国分寺下層)、平安時代(表おもて杉すぎノの入いり) 〔人工遺物〕土器、石器―アメリカ式石鏃、鉄製品(刀子)、土製品―土錘 〔自然遺物〕貝類―ハマグリ、アサリ、マガキ、カリガネエガイ、キサゴ、カサガイ類、レイシガイ、タマキビガイ、スガイ、アカニシ、アワビ、オオノガイ、イガイ、ウミニナ、クビタテヘビガイ。甲殻こうかく類―フジツボ。魚類―アイナメ、マアジ、マグロ、マイワシ、サメ。哺乳ほにゅう類―シカ 〔保管〕照源寺、東北歴史資料館、女川町教育委員会、石巻高 文献 東北歴史資料館『宮城県の貝塚』(一九八九) 04 針浜墓地下遺跡(はりのはまぼちした) 〔所在地〕女川町針浜字針浜 〔概要〕万石浦の東岸の針浜集落の入り口部の丘陵南斜面に位置する。標高一〇~一五㍍で東西一五〇㍍×南北四〇㍍の丘陵に沿った細長い範囲にある。現在は畑になっており、遺物が採集される。石塔場せきとうば館跡の範囲にも入っている遺跡である。 〔時期・型式名〕縄文時代、平安時代 〔人工遺物〕土器―縄文土器、土師器、須恵器、石器―石鏃、剝片はくへん 〔保管〕太田昭夫 05 花坂遺跡(はなさか) 〔所在地〕女川町針浜字針浜 〔概要〕針浜集落の東奥に位置し、浜から五〇〇㍍ほど入った丘陵の埋没谷のなだらかな斜面にある。三方を山に囲まれ西方に万石浦が望める。標高一〇~二〇㍍で南北一五〇㍍×東西二〇〇㍍の広い範囲に及び、水田・畑 453

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