女川町誌 続編
463/596

士に好まれた理由のひとつでもあったようである。 室町時代に入ると、やぶさめも犬追物も急速に衰えるが、やぶさめは有名神社の祭礼における奉納興行という形で民間に伝承され、やがて各地の都市における祭り一般にまで広がりを見せ、現在に至っている。一方、騎乗という古式を守ることの難しい郷村の中には、男児の健やかな成長を祈願する鎮守への奉納行事として、やぶさめの名を冠しながら、より素朴な形で伝える例が、まれではあるが見られる。 当町大沢地区の須賀神社(八雲神社)の祭礼に奉納されるやぶさめは、その数少ない一例であるが、その起源は鎌倉時代にさかのぼると思われる同地区の草創期に近いと伝えられる。古くは成人を祝う行事だったらしく、成人が射手を務め、的は鳥居の前から谷を隔てた三〇㍍ほどの丘の上に立てられたという。戦時中、前述の男児の祝いに移行したのは、丘が開墾されて畑になったことや、出征による若者の減少などが原因であったと考えられる。 したがって、現在の形での歴史は新しいことであるが、射手となる男児の選出、祭典後の行列などについては、家格を主にした細かい取り決めがあって、民俗に関心のある人の興味をひく点があるかと思われる。ここでは詳説を省き、こうした古い起源の行事の残ることだけを書き留めておく。 431

元のページ  ../index.html#463

このブックを見る