女川町誌 続編
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という。夜更けにふと目を覚まし、裏山から聞こえる不気味なフクロウの声に、恐れおののいた幼児の思い出を懐かしむ人も多かろう。 やがて海岸の埋め立てが始まって干潟が姿を消し、山の雑木林が切られて、そのあとに杉が植えられるようになると、小鳥の種類も数もめっきり少なくなった。 小鳥に限らず、人間がペットを飼育する楽しみを知ったのは有史以前のことだろう。初めは同好者の間で贈与、交換されていたものが、趣味として普及するにつれて、いつか商品として売買されるようになった。 終戦直後の昭和二十二年(一九四七)、自然保護への関心を喚起するとともに、荒廃した国民の心に和らぎを与えようという意図から、バード・デー(四月十日)が設定された。その後間もない昭和二十五年にはバード・デーに代えて、五月十日から十六日までを愛鳥週間(バード・ウィーク)と定め、現在に至っている。 国民生活が安定し向上するにつれて、ペット飼育がブームを呼ぶことになるが、中でも小鳥の飼育は地方の小さな町にまで専門店が現れるほどの人気を集める。需要の急激な増大は、必然的に乱獲による供給を誘い、飼育人口の急増は飼育経験や愛情の不足から、無駄に小鳥を死なせてしまう例を多くした。根っからの小鳥好きにはとても座視することのできないものだったろう。各地に結成された愛鳥会はこうした状況に危機感を抱き、適当な措置の必要性を世に訴え、関係機関への働きかけを強めた。高まる世論をバックに、昭和三十八年(一九六三)「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」により、野鳥の捕獲と飼育に許可制が導入され、後にカスミ網の使用も禁止されることになる。 昭和四十一年(一九六六)五月、仁田安夫を会長に洋鳥飼育者を含む会員三五名の女川町愛鳥会が発足した。会員相互の情報交換による飼育技術の向上と普及、小鳥のすみよい自然環境を守り、作ることを目的として、石巻農林事 418
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