女川町誌 続編
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交流を描いた「さよならピーコ」、死にかかったウミネコを拾った子供たちと、パトカーでそれを鳥獣病院へ送り届けた優しいお巡りさんの話「パトカーに乗ったウミネコ」、重傷のアザラシの子トトを看病した「トトちゃんの心は北の海」などがあるが、どちらも阿部の鳥獣保護保養所を舞台に繰り広げられた話である。 大正十五年(一九二六)生まれの阿部は六〇代前半という、まだまだ活躍の期待される年齢で急に病魔に襲われ、平成元年七月二十五日、多くの人々に惜しまれながら世を去った。しかし、「あべくらさん」は全国各地の小学校の図書室に備えられた竹野の著書を通して、次代の日本を担う児童たちの心の中に、いつまでも生き続けることであろう。 生涯教育センターに常時展示されている見事な鹿の剝製はくせいは、町民に残した「くらさん」の形見として、長く後世に伝えたいものである。 三 女川町愛鳥会 昭和初期までの女川の流れは丸子山麓さんろくで深い沼に入り、再びそこを出て海に注いでいた。沼の周辺は葦あしの茂る湿地帯であった。湾の奥には小規模ながら干潟も所々に残っていた。そうした地勢から考えると、季節の変わり目にかけては、水辺に旅の疲れをいやす渡り鳥の群れを見ることもできたであろう。山にはナラ・クヌギを主にした雑木林も多く、野鳥にとってはいかにもすみよい環境であったと思われる。 シジュウカラ、ホオジロ、キビタキ、ヤマガラ、メジロ、アオジ、ヒワ、ムクドリなどと、野鳥の種類も豊富だったし、個体数も現在の比ではなかった。サンコウチョウのような珍しい鳥さえ、時折その姿を目にすることができた 417

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