女川町誌 続編
445/596

〇ハマベンケイソウについて(昭和六十三年九月) 昭和六十三年八月二十日付の「河北新報」に次のような記事が載った。「かつて志津川湾の椿島に群生していたハマベンケイソウ(ムラサキ科)が昭和三十五年のチリ地震津波で絶滅したと思われていたところ、この度尚絅女学院短大の木村中外先生や石巻市文化財保護委員、佐々木豊先生の調査によって、名振湾沿いの二か所に七株が発見された」 この記事は私も興味をもって読んだのであるが、私と同じ石浜に住む梁取つや子さんがやってきて、「昨年、私と娘とで指ヶ浜で見た植物と同じもののように思える植物が新聞に載っている」と知らせてくれた。ぜひその植物を見たいと話したら、八月二十八日に枝を折って持ってきてくれた。調べてみるとハマベンケイソウに間違いない。 翌二十九日、町誌編さん室でこの話をしたところ、新聞社に知らせた方がよかろうということになり、三陸河北新報社に電話すると、記者を差し向けるという。町の産業振興課からも課長補佐が立ち会うことになり、記者の到着を待って、町誌編さん委員二名、案内役の梁取さん、私と総勢六名で現地に向かった。現地は指ヶ浜のカキむき場から女川寄りの海岸で、カキ殻が相当の厚さで積み重なっている上に大群落(およそ長さ五㍍、幅三㍍)を作って繁茂している。青紫色の小さい花が、満開は過ぎたものの、きれいに沢山咲いていた。翌三十日、この記事が「石巻かほく」に出ると、先に名振湾を調査された佐々木先生から電話があって、確認したいのでよろしくとのことであった。その日の午後、先生を現場に案内すると、先生が名振湾で見られたものよりずっと大きい群落なので多少驚かれた様子であった。 前記のようにハマベンケイソウはムラサキ科に属し、北方系の植物であるが、今回の調査によって分布上の南限が従来考えられていたよりさらに南にあることが判明したわけである。 413

元のページ  ../index.html#445

このブックを見る