女川町誌 続編
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的には伝統と矛盾しない。刀を納める筒は、本県では登米町の懐古館に伊達綱宗の用いたものが展示されており、優品としては、酒田市の本間博物館の「葡萄ぶどう・栗鼠りす蒔絵まきえ螺鈿らでん刀筒」が知られている。使用者の身分だけからいえば、大納言に相応する品といえる。しかし、刀筒の作られ始めたのが室町末期とされているので、時代的にはかなりのずれがある。ただ、素朴な造りから見ると初期のものと思われるし、製作、使用の年代がもっとさかのぼる可能性もまったくないわけではないらしい。この方面の研究の進展に注目し、期待したい。 太子像については昭和六十二年(一九八七)、町文化財保護委員会が調査を行ったが、年代推定には様式等についての専門的知識が必要であり、権威者の鑑定を待つしかない。 水墨画は狩野かのう典みち信のぶ(一七三〇~九〇)一五歳筆の「竜虎図」と、仙台画壇の雄、斑目まだらめ東雄とうゆうの高弟、板垣東流の「鷹図」(元治元年=一八六四=十月制作)である。大納言の遺品とすることはできないが、遠藤家の盛時と、文化的な環境をうかがわせるに十分な芸術品であり、本町に現存するものでは最高の部類に属するといえよう。保存状況も良好である。 遠藤家については安永二年(一七七三)の「風土記書ふどきかき出だし」に代数有之だいすうこれあり御百姓おんひゃくしょうとして、当時で五代に当たり、それ以前は不明と記載される。これは、社寺として白幡社、太子堂が挙げられながら、縁起不詳とあることと合わせて、 401

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