女川町誌 続編
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⑵ 小乗のアンモナイト 塚浜方面に至る県道は小乗の集落縁に沿って二つ折れ状カーブの急坂となる。このカーブのほぼ軸上を旧小乗金山近辺を水源とする渓流が流れ下り海に注ぐ。渓流の南側に、これと平行して断層が推定されており、推定断層を境に、北側には下部三畳系の大沢層の葉理頁岩、南側には中部三畳系の風越層の砂岩が分布する。昭和三十年代、推定断層に近い大沢層の頁岩(生出漁網店倉庫付近)から地元の人々の手でアンモナイト化石が多量に発見され、昭和四十三年(一九六八)には坂東祐司により学界に紹介された。 このころ、女川一中に在職していた筆者は、ドイツからの少壮地質学者の来訪を受け、中学生に案内を頼んだこと があるが、その翌日、生徒がバケツに一杯の化石を持参してきたのに驚かされた。今にして思えば、このような集中的な産出は稀少きしょうであり、産出地の保全が急務であったろうに、当時はその方面への関心も薄かったことが嘆かれる。現在は、乱採取のためと、道路工事による原状変更により、ほとんど取り尽くされてしまった。 小乗のアンモナイトはヒマラヤ山中に産するものと極めて近い種類であるとのことで、壮大な大地の歴史が秘めるロマンは、次代の青少年に夢を育てる教育資料となったのにと惜しまれる。 ⑶ 白幡大納言と塚浜の太子像 大正十二年(一九二三)刊行の『牡鹿郡誌』第四章、第十章に塚浜の太子堂の 399

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