女川町誌 続編
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その生態にははっきりしない点も多い。昭和六十一年から、青森県営浅虫水族館が本邦では初めてこの鳥の飼育に取り組んでおり、成果が期待される。同館飼育係の話によると、夏鳥特有とされている目の脇わきの白い飾り羽も、九月ごろの換羽期に生え代わり、一、二月ごろにははっきりと認められるようになるという。上くちばし基部の角状突起も換羽期に落ちて、新しい突起の発生がまた始まる。同館ではまだ産卵を見るまでに至っていないが、将来の課題として実現を目指しているとのことである。 ウトウの語源については諸説あり、アイヌ語との深い関連がうかがわれるものの、それ以上は明らかでない。ウトウの漢字表記に「善知鳥」が当てられるようになったのは室町時代末期からといわれ、世阿弥の作とされる謡曲「善知鳥うとう」がある。曲中に藤原定家作と伝わる「陸奥みちのくの、外そとの浜なる呼子鳥、鳴くなる声は、うとうやすかた」が見える。 ウトウ余話としてその粗筋を紹介しておこう。 陸奥外の浜(津軽半島東部、陸奥湾岸一帯の浜)を訪ねる旅の僧が途中立ち寄った立山(富山県)の霊場でひとりの老人に呼びとめられる。老人は、外の浜で去年の秋に亡くなった猟師の家をたずね、妻子にこれを手向けて供養するよう伝えてくれと、蓑みの、笠かさを僧に託し、また証拠にと着ていた衣の片袖をほどいて渡し、姿を消す。ウトウには親が「ウトウ」と呼べば子が「やすかた(安方)」と答える習性があるという。老人は、この習性を逆手にとって、親の鳴き声を真似てウトウの幼鳥を捕らえるという殺生を現世において重ねた猟師の化身であった。 外の浜に亡き漁師の妻子を捜し当てた僧が、合掌して経文を唱えると、猟師の亡霊が現れる。しかし、現世で犯したむごい所業の報いで、蓑、笠にさえぎられて亡霊は妻や子の姿を見ることさえできない。亡霊は悲痛なざんげの言葉とともに、冥土めいどでは化鳥となったウトウに追われ続けている苦痛を訴え、僧に救いを求めて消えていく。 383

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