女川町誌 続編
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力と影響力を駆使して着々と町勢発展の諸施策を推進した。 昭和四十一年春、早朝の火事で北校舎を全焼した女川第一中学校は、焼け残った本館も解体し、鉄筋コンクリート四階建ての近代校舎を新築することにした。北浦地区と出島の上水道施設を整え、津波防波堤も四十二年に完工を祝った。牡鹿半島有料道路(コバルトライン)の起工(四十三年)、消防署新庁舎の落成(四十五年)も明るいニュースとして町民に迎えられた。 昭和四十二年の埼玉国体に、水泳の黄川田喜蔵君(石巻高校)、柔道の木村清徳君(東北高校)の二人の町出身選手が出場したことが、四十三年の第一回町民運動会の開催、四十四年の女川町体育協会の発足と、町民のスポーツへの関心が急速に高まるきっかけとなった。四十四年長崎国体では、木村清徳君の弟清人君(東北高校)がレスリング六八㌕級フリースタイルで優勝し、町はこの快挙に沸いた。 8

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