女川町誌 続編
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明治四二・一一・ 一 宮城控訴院書記 大正 八・ 六・二〇 郡山区裁判所判事 大正 二・ 五・一二 仙台地方裁判所書記 大正一一・ 九・二六 若松区裁判所判事 大正 三・ 一・ 八 依願免本官 昭和 二・ 四・一一 平区裁判所判事 大正 三・一二・ 一 弁護士試験及び判検事登用第一回試 昭和 三・ 七・二四 福島地方裁判所判事 験及第 昭和 五・一二・ 五 青森地方裁判所部長 大正 四・一一・二四 仙台区裁判所検事代理 昭和一二・ 二・二六 仙台地方裁判所部長 大正 五・ 七・二一 仙台地方裁判所予備判事 昭和一八・ 三・二九 仙台区裁判所判事 大正 五・ 八・一五 旭川地方裁判所判事 昭和二〇・ 九・二〇 退職 四 高等学校 ◎宮城県女川高等学校 「教育の充実は町発展の礎石である」との信念を貫いた、青年町長木村主税氏の熱意が実って、宮城県石巻高等学校定時制課程女川分校が発足したのは、終戦間もない昭和二十四年(一九四九)九月二十四日であった。町民に対する啓蒙と生徒の確保を兼ねて、自ら勧奨して多数の町職員を入学させるなど、木村町長の女川分校への期待は、当初から独立の全日制昇格への意欲をうかがわせるものがあった。 以後、現在地に新しく敷地を求めての専用木造校舎の建築、昭和四十七年(一九七二)の鉄筋コンクリート造り四階建ての現校舎の新築と、着々、独立昇格のための敷石を置いた。四十八年、念願の独立にこぎつけることができた355

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