女川町誌 続編
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う。 講演の内容は、独学というものはザルで水を汲むようなもので、最初は水を汲めないが何千回、何万回と汲み続ければ、そのうちにザルに水苔がついて遂には汲めるようになるが、独学もこれと同じで、最初は何も分からなくても、その都度僅かずつ残る知識がだんだん積み重なって土台の知識となり、最後にはどんどん分かるようになるといったことのようである。内容そのものは必ずしも目新しいものではないのに、聞き手に深い感銘を与えたのは、先生の体験とそれによって養われた人柄が余すところなく凝縮されていたからであろう。 先生は独学での学力を基礎に日本大学専門部を卒業し、明治三十八年(一九〇五)、仙台区裁判所書記見習いを振り出しに、やがては裁判官として長く司法界で活躍された。昭和十七年十月十日、勲三等瑞宝章に、同二十年九月十九日、高等官二等に叙せられ、その翌日二十日付けで退官されたが、同二十年十月十六日には従三位に叙せられた。このように、遠藤周蔵先生は本町における立志伝中の人の中でも一段と光彩を放つ人物であり、われわれ町民の大きな誇りでもある。 筆者の記憶と先生を知る人々の話によれば、性格は明るく、気さくで、高ぶる事なく、帰郷の折などには知己、友人を訪ね、また物故された先輩には焼香して霊を慰めるなど、一挙一動、人の範となるものであった。趣味はどちらかといえば多い方で、撞球、マージャン、将棋等をたしなみ、書もよく鑑賞されたということである。 貧困の中に奮闘努力して赫たる人生を築き、名を成し、衆人の尊崇を一身に集めた方であったが、昭和三十七年(一九六二)四月十八日、七八歳を以て逝去された。参考のため次にその略歴を記す。 明治三八・ 七・ 七 裁判所書記登用試験及第 明治三八・ 七・一三 日本大学専門部卒業 明治三八・一一・三〇 仙台区裁判所書記 明治四〇・一〇・ 一 登米区裁判所書記 354

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