女川町誌 続編
385/596

主任 (現在の主任、渋谷ふみ教諭は勤続二三年) 教諭 四名 ☆遠藤周蔵先生について (佐藤 春雄) 先生は明治十八 年(一八八五)五 月一日、女川村石 浜七番地において 遠藤周治、ヤス夫 妻の長男として生 れた。早く父君を失ったため、当時の石浜小学校四年を卒業したのみで、少年期から青年前期にかけて石巻町役場に雇いとして勤務し(これは石浜生れの古老の話であるが、石巻市役所で調査してもらったところ、石巻町役場の火災により当時の書類は焼失し、先生に関する記録も残ってはいないとのことで、確認できなかった)、母堂及び二人の妹さん達を扶養しながら独学を続けられたようである。 昭和六十三年(一九八八)十月三十日付けの河北新報「声の交差点」に「裁判官の教え今も胸の底」の題で、周蔵先生の思い出を述べた文が掲載された。投稿者は涌谷町在住の下山秀男氏である。周蔵先生について調査中の筆者は早速涌谷に同氏を訪ねた。残念ながら同氏は直接先生の下で働く機会はなく、書記官を対象にした講演会での講師と聴衆としての出会いであったということで、予期した先生の裁判官時代のエピソードなどを聞くことはできなかった。しかし、ただ一度の講演が下山氏に与えた強烈な感動は、氏も先生と同様独学によって法曹界への道を開いた人であるという共通点はあるにしても、周蔵先生の人柄の一端を最も雄弁に物語るものといえよ353

元のページ  ../index.html#385

このブックを見る