女川町誌 続編
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第二節 女川町三〇年の歩み ほぼ五年ごとに区分してわが町三〇年の歩みを概観することにするが、その背景である世界及び国内の主な出来事のうち本文に言及する以外のことは、略年表の形で付して読者の参照の便を図った。 ⑴ 昭和三十五年(一九六〇)~昭和四十年(一九六五) チリ地震津波の被災地にようやく復興の槌つち音が高まり始めた昭和三十五年七月十九日、日米新安全保障条約の自然成立(六月十九日)を機に岸内閣が総辞職し、国民所得倍増計画を掲げた池田内閣が登場する。 敗戦の色濃い昭和十九年の東南海地震津波や、戦後の混乱の中で国じゅうが飢えにあえいでいた二十一年の南海地震津波の被災者の悲惨を思うにつけても、津波という同じ天災に見舞われながら、わが国経済が高度成長への第一歩を踏み出したこの時機の被災は、不幸中の幸いであったといってよく、平和の世の有り難さを改めてかみしめなければなるまい。 全国各地から寄せられた物心両面の温かい援助を杖つえにして復興に立ち上がった町民にとって、被災後間もない八月、長年待ち望んでいた女川港修築事業の完了をみたことは、明日への希望を膨らませる大きな励ましとなった。 昭和三十一年以来地方財政再建団体に指定され、苦しい財政運営を強いられてきた本町であったが、懸命の自助努力によって、被災という追い打ちもはね返し、三十七年には予定よりも一年早めての指定解除となった。行政当局の 3

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