女川町誌 続編
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第一節 はじめに 編さん着手から一〇年の歳月をかけて『女川町誌』が刊行されたのは、昭和三十五年(一九六〇)八月のことである。前年から続いた日米安全保障条約をめぐっての大反対運動にもかかわらず、条約批准案が強行採決(五月十九日)され、国じゅうが騒然としていた。折も折、五月二十四日未明、突然チリ地震津波がわが国太平洋沿岸を襲った。それは津波銀座といわれる三陸沿岸に住む人々にさえ生まれてこのかた初めての、地震という前触れのない大津波であった。全国で死者・行方不明者の合計一三九人を数えた。この大天災に、わが女川町では幸い一人の死傷者も出さずに済んだが、水産業・商業関係を主として町民の受けた経済的精神的打撃は深刻であった。 したがって、それからわずか三か月後に刊行された『女川町誌』には、被害の大略や体験談が追録として収められてはいるが、倉卒のことゆえ十分とはいえず、本続編はその補足の意味も兼ね、このチリ地震津波にさかのぼって書き起こすことにした。 2
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