女川町誌 続編
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この地に公園の設置を思い立ったのは、女川ライオンズ・クラブ(当時の会長は黄川田喜典氏)の人々であった。昭和四十年ころ、この辺はカキ殻を主とするゴミ捨て場にされていて、漂う悪臭に通行の車のドライバーは夏も窓を開けることができなかったという。そうした悪評を耳にした鈴木博氏ら、何人かの会員の話し合いがきっかけとなり、勤労奉仕等による同クラブの協力を前提に町当局に対して崎山の公園化を提言することになった。その熱意に動かされ、町当局も県の同意を得たうえで公園敷地の整備を行ったが、財政事情もあって一挙に公園としての体裁を整えるわけにはいかなかった。 以来、二十数年、女川ライオンズ・クラブは、碑の建立、ベンチの設置など、施設の充実に積極的に当局を助けるとともに、通年月一回の奉仕作業によって、清掃美化といった日常管理面をほとんど一手に引き受けてきた。同クラブの息の長い献身的な奉仕活動は次第に地元石浜地区の人々にも波及し、老人クラブなどの団体、さ290

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