女川町誌 続編
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かった。蒸し籠は取手(突き出た部分)が無くなり、当地方ではセイロウと呼ばれる。 ・傍線4 ここでは大形のカツオ(二・五㌕以上)一尾から四本の節(本節という)を製する場合について書かれてあるが、それより小形のものは左右両片身から一本ずつの節を製し、これを亀節という。 ・傍線5 煮籠は釜が方形になったのでこれに合わせて方形となり、竹で編んだ敷網(近年は針金製)を敷くようになった。 ・傍線6 古法と現代の製法との最も大きい違いは、前風呂による乾燥がムロ(室)によるヒシャマ(火山)掛けに変わった点であろう。前風呂は能率の面からだけでなく、火災発生の危険性が高いという大きな欠点があった。一時期、節製法工場に火災が多く、そのほとんどが前風呂からの出火ということもあった。 ムロは野蒜のびる石(塩釜石ともいう)のような通気性のある石材で数個連続して築かれ、この各々の前に炊き口が設けられる。一つのムロの上にセイロウ一〇枚前後ずつを二列に重ねる。乾燥を均等にするため時折節の上下を返してやる必要がある。この作業は暑い季節と重なるので、ことさら辛い仕事である。 水抜きは一番火ともいわれ、水抜きの終わった節をなまり節といい、このまま市販されることもある。 ・傍線7 乾燥が進むにつれて隔日とし、やがて二、三日間隔として二番火から十乃至十二番火まで行う。このヒシャマ掛けの後の日乾しが済んだ節は荒節又は鬼節と呼ばれる。 ・傍線8 節箱が用いられる。 ・傍線9 この二種に加えて地曳き包丁(図参照)も用いられるようになり、節削り職人の間では、併せて「節削り三種の神器」といわれた。 ・傍線10 裸節(地方によっては「赤むき」ともいう)と呼ばれる。 ・傍線11 ヒシャマを掛ける。 244

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