女川町誌 続編
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で昭和五十六年十二月一日着工した実験室は翌年の二月二十日に落成した。設備にはマイクロ粉砕機という県内でも珍しい装置もある。 以後、青年部員は、週一回、夜間の七時から八時まで実験室に集まり、専任研究員(一名)の指導のもとに商品価値を高めるための開発研究を続けている。その結果は県が主催する年二回の発表会で毎回のように上位入賞を果たしている。中でも昭和六十二年三月に発表した銀ザケの稚魚の甘露煮「北回帰」は、成長の遅れた稚魚に活用の道を開き、しかも製品としての評価も高く、販路拡張の努力によっては極めて有望とされている。しかし、せっかく開発した製品も、多少のリスクを承知のうえで積極的に取り上げてくれる町内業者が現れなければ日の目を見ずに終わってしまう。業界全体の大きな課題としての取り組みが望まれる。 ☆カツオ節の製法(関係用具等の図は文末に一括して掲げる) カツオの名が文献に現れるのは遠く奈良時代にさかのぼり、『古事記』(雄略天皇の巻)に「カツオを屋根に載せて作った家がある」といった記述が見え、当時から乾燥して用いられた魚であることが推測される。また、鎌倉時代初期に書かれた『徒然草』にも「これまで上流の人々の口にするものではなかったカツオが、最近この上ない魚として鎌倉でもてはやされている」ことが記されており(第一一九段)、この場合は乾燥したものかどうかははっきりしないが、カツオの地位向上を思わせて興味深い。 カツオが古くから乾燥して用いられた魚であったとして、それではいつどこから節という形での製造が始まったか、製造法がどのように改良されてきたかということになると、それを語る資料はようやく江戸時代初期にさ 239

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