女川町誌 続編
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そこで、特に興味深いものを選び、その要略を紹介することにした。用具の現存する限り写真を添えたいと考えていたが、果たせなかったのは心残りである。 1 アカオたて釣り アカオはアカウオのなまりで、学名をアカムツ(スズキ科)という。地方によりノドグロ、キンメとも呼ばれ、北洋から南朝鮮までの広い海域で漁獲される。 江島の古老の話によると、明治二十年ごろから三十年代にかけてアカウオの大漁が続き、ある年には江島漁民のこの漁からの収入だけで、女川村の村税の七割をまかなったほどであったという。また、明治二十八年旧暦十二月の大みそかの夜、ロウソクの消し忘れから出火し全焼した久須師神社社殿の再建も、このアカオの仲釣りによる収入を財源としてのことであった。なお、仲釣りとは、島民の共同操業をいい、漁獲による収入は島民の共有として、公共の用に充てるしきたりである。 明治三十年代も半ばになると、アカオ漁は一転してまったくの不漁続きとなり、やがて伝来したアカオと漁期を同じくするサメ底刺し網漁にとって代わられるようになった。大正年代中期にアカオの盛漁を見た一時期もあったが、その後はまた不漁となり、アカオ漁が再びよみがえることはなかった。 アカオたて漁に使われた漁具は、麻を裂いて紡つむぎ撚りよをかけた手製の糸、一二〇~一八〇㍍を道綱にし、その先端に八〇〇㌘前後のおもりをくくりつけ、おしか型七分の釣り針を付けた十五 センチメートルほどのシロ(ハリス)を一本の道綱に四〇~八〇本結びつけて海底に沈める。餌えさはカキ又はメロードとし、漁場は江島北東の暗礁、沖の根一帯、最漁期は三月であった。なお、現在われわれの食膳に上がるアカウオは、北洋トロールの漁獲したものである。 2 アワビかけ漁 アワビ漁はほとんど潜水夫による採捕に代わられ、長い伝統を持つアワビかけ漁を見ることはまれになった。 233
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