女川町誌 続編
259/596

浮き流し養殖法が広まり、五十年代初期には出島だけでノリ養殖の経営体は約三〇体を数え、盛況を示した。 しかし、ノリの養殖も専業とするだけの規模に拡大することが難しい本町では、採算の問題や、養殖の対象となる魚・貝・藻の種類が増えたこと、漁場の環境の問題などから、次第に衰退に向かい、現在は町全体でわずか数体が他の養殖と併営しているにすぎない。 ⑹ ギンザケ ギンザケは体の背部、背ビレ・尾ビレの上部に小黒点が散在し、歯の基部周辺が黒くないこと、主上顎骨じょうがくこつが目の下方へ曲がり、への字状を呈することなどを特徴とする。成魚は秋から冬にかけて河川を遡上そじょうし、上流部で二五〇〇粒から七〇〇〇粒ぐらいの卵を産む。形態上も生態的にもわが国に産するサクラマスに似ているが、サクラマスが遡上しない北方が分布範囲である。尻別川など北海道の河川へ迷い込んだ例はあるものの、わが国沿岸への回遊は極めて少ない。 早くから北アメリカの五大湖をはじめ、アルゼンチン・チリなどへ移植されていたが、今から一〇年ほど前(昭和五十年)に日魯漁業(株)等の大手資本が受精卵を輸入し、淡水で一年ぐらい養成した幼魚を冬期、海水に馴致じゅんちし、初夏までの約半年間を内湾で小割養殖する養殖法を各地漁家の有志に勧めた。本町出島でも、もっとも早い時期に日魯漁業からの働きかけがあって、これを試みた漁家があったというが、本格的なギンザケ海中養殖の成功は志津川町の遠藤昭吾氏を中心とする志津川湾沿岸漁家有志によるとされている。以後ギンザケ養殖はまたたく間に県北中部の内湾域に広がり、全国生産の約九割を本県が占めるという一大養殖種となった。昭和五十八年には二七体にすぎなかった本町のギンザケ養殖漁家は年ごとにほぼ倍増の勢いを示し、六十一年度には一二二体にのぼってなお増加の傾向 227

元のページ  ../index.html#259

このブックを見る