女川町誌 続編
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二 沿岸漁業 沿岸漁業等振興法によれば、一〇㌧以下の漁船漁家、地引き網、定置網、養殖漁業等を沿岸漁業という。このうち養殖漁業については、養殖・増殖を含めて広義に用いられる栽培漁業という用語が昭和三十年代のエビ人工ふ化・育成の成功以来、一般的に用いられるようになり、定着している。 『女川町誌』は、チリ地震津波当時の本町沿岸漁業について「零細漁家がサッパで営む原始的漁業形態で、生活の維持もやっとのことである」と記している。 三〇年の歳月を経て、栽培漁業を主体とするようになり、民宿、釣り船といった第三次産業的要素の濃い兼業漁家の多くなった現在、ほとんど採捕だけに頼っていた当時の前近代的な暗い影はどこにも感じられない。しかし、経済的繁栄の陰で、沿岸漁業地域、特に離島の人々は、まったく異質の暗雲のもとに置かれている。それは過疎、人口の老齢化、嫁不足といった社会問題であり、集落の存立さえおびやかされ始めていると言っても過言でないほど深刻な様相を帯びている。 昭和四十年代は前に触れたように、遠洋漁業の好況期に当たり、沿岸漁家の二、三男の遠洋漁業志向の高まりを見せた時期であった。この現象は漁家の経済向上には大きく寄与した反面、昭和五十年代に入ってこれらの二、三男が妻帯の時期を迎えると、石巻周辺に家を建てて独立するようになり、一転して沿岸漁業地域過疎化の引き金となる。 一方後継者である若者たちも、辺地の嫁不足や、進路選択の自由化傾向などが動因となって、比較的充実した資本力を持つ一部漁家を除いては沿岸漁業を離れ、都市周辺に職を求めて去る者が多くなった。こうして過疎化は江島の例 214

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