女川町誌 続編
124/596

この町長在職中(約三十六年間)町長以外の職に付いた数は北海道、東北六県町村会協議会長を始めとして十四、又褒章叙勲を含めて表彰されること二十六回、只々その足跡の大なるに驚くのみである。氏は以上の様に為政者の中でも特に傑出した立派な事業を数多く成し遂げ尊崇を一身に集めた人であったが、一方私生活においても稀に見る立派な人で衆人の亀鑑きかんであったといっても過言ではないと思う。家庭生活を覗のぞくと、そこには派手さや贅沢ぜいたくさは微塵みじんもなく、質素地味が見られる丈であった。 清廉潔白が生活信条であったようであるが、或時の茶飲み話の中で奥様が「役場吏員の頃は多少の貯えも出来たので通帳を見る張り合いもあったが町長になってからは減る一方なので通帳に対する興味は全くなくなって了った」と言われたが、このお話の中にこそ、その生活信条が強く滲にじみ出ているように思われた。 氏は前述の様に公人として抜群の功績を残されたが、その根源はやはり人間として道徳律を踏み外すことのない己に厳しい生き方に在ったのではなかろうか。 木村主税氏略歴 一、明治四十三年六月三日、木村利助、きよの夫妻の長男として出生 一、女川尋常高等小学校を経て大正十三年四月宮城県石巻中学校 (現宮城県石巻高等学校)入学 一、昭和四年四月一日、旧制国立仙台高等工業専門学校電気工学科に入学、昭和六年三月三十一日、健康上の理由により同校を中途退学、自宅で療養に専念する。 一、昭和十三年九月二十四日、雇やといとして女川町役場に勤務 一、昭和十九年四月三十日、総務課長を命じられる。 一、昭和二十二年四月五日、女川町長に当選、以後昭和五十八年まで連続一〇回の当選を果たす。 一、昭和五十八年五月四日、現職のまま病没 ・主な兼務職 宮城県桃生牡鹿地方町村会長、宮城県町村会長、北海道東北六県町村会協議会長、全国町村会常任理事、宮城県固定資産評価審議会長 ・表彰(主なもの)92

元のページ  ../index.html#124

このブックを見る