女川町誌
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六、米沢に於ける独国 女川に語り伝えられて居るところによると、米沢の岩屋で修業したと言つてる。信達一統志には米沢の文珠菩薩に祈誓をこめて、仏教の真密を覚つた近代の名僧と書いてあるので、米沢市に窟と独国和尚の遺跡を文書で尋ねたが、米沢に文珠堂はあるが、窟もなく独国和尚の遺跡はない。時代のずれもあるが米沢の寺に越後の女川村生れ独国という和尚は事績があるという回答を得た、重ねて尋ねたが同じことである。どうしても米沢には手掛りがないので困りきつて居た折、安部名平次という人から突然貴下の尋ねて居られる独国和尚の遺蹟は米沢藩ではあるが、東置賜郡高畠町亀岡の文珠堂で米沢市の文珠堂はこゝの末寺のような関係にある所である。種々遺物遺跡もあるから是非来い。そして是非独国様の全貌をも聞かせてくれということになつた。昭和三十三年九月十八日高畠町露藤に安部氏を訪ね三泊して亀岡文珠堂に行き、又山木利憲氏をも訪ねて次の調査を遂げた。 独国和尚の文珠堂に居られた年代は知るべき文献とてもないが、信達一統志の文や、この地方のいろいろなことを綜合すると、晩年ではないようである。而して山上の岩屋に毎日通つて 座禅をしたということや、断食参禅をこの岩屋でしたという話などから考えると、短期間通りすがりに奇寓して参禅したようなものではなく、相当年数修業したものと考えられる。周囲の山が文珠山を中心として支那の五台山の山相をして居る故に、この地を五台山というので、独国和尚が自ら五台山人独国と称し たことなどから考えると、僧侶としての自己の生命の地としたようにも考えられ、相当長い間の修業の寺であつたと考えられ 919 独国和尚愛用の硯と数珠(女川) 独国和尚修行の文珠山の洞窟(亀岡) 919
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