女川町誌
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是」と奏文せしめた。蛮地陸奥から思い設けぬ黄金を産したことは、文化の先進地たる近畿の人々を如何に驚かせ、且喜ばせたであろうか。「皇の御代栄えんと東なる陸奥山に黄金花咲く」と万葉歌人大伴家持をして感激をこめて、斯く歌わしめたのである。四、恋の島物語(江島)昔若い美男の僧が人里離れた太平洋の荒波打ち寄せる海岸で、心ゆくまで坐禅をしたいものだと云つて孤島江島に渡り、お伊勢崎や南小島でやつて見たが島の人が入り替り立替り物珍しげに見に来るので困りきつて居た。すると或る漁師が非常に同情して、それならと小舟で送り届けてくれたのが小江島である。そしてその漁師は三尺四方位の小屋まで造つてくれ三日目毎に新しい飲み水を運んでやり、且つ安否を見に行つてくれることにした。それから島の人達も若僧の心を察して誰も行かないが、漁師の舟漕ぎの相手は一人子の十八になる彼の娘であつた。特権を与へられた彼の女は既に人恋しき娘盛りであるのに加えて、若僧の美貌と慇懃なる態度とは遂に彼の女の熱き心を燃やさせずには置かなかつた。三日目毎に新しい水を持つて父と尋ねる日がまたなき楽しい日となつた。しかし楽しい日の過ぎ去るのは早く二十一日間の坐禅は無事終つた。坐禅が終ると若僧は絶食衰弱の身をその漁師の家に三日間休養し父娘に厚く謝意を述べて立ち去つた。操守堅固な若僧であるから、目の前に見ている間は左程でもなかつたが、今立去つたとなると孤独の淋しさがひしひしと彼の女を攻めるのである。日毎につのる思慕の情は抑えんとしても抑えることが出来ず、せめてもの心の慰めにと彼の女は三日目毎に若僧の坐禅をした小屋を訪ね一日を泣き暮して来るのであつた。斯くすること半年彼の女はあわれにもやせ衰えてこがれ死んでしまつたのである。この事あつてから土地の人々は誰云ふとなく、小江島を恋の島といふようになつたのである。これが恋の島物語のあらましである。五、美し浜物語(足島)足島の平ひらの前浜に船を着け、平に上ると平の引越浜の絶景が目の前に開ける。この浜に下りないで右の方の峯即ち中の島を越えると草摘み場という景勝の地がある。その南東下の浜が物語りの美し浜である。こゝは海鳥が群棲しているので土地が肥え、日当りもよいので春の餅草(よもぎ)が早く、そして柔かに太つて育つのが他の場所に一段まさつている。そこで昔は江島の娘達は毎年草摘みに来るのが例となり、地名も生れたわけである。或る年三月節句の草摘みに天気のよい波静かな日を選び、島の娘達が小舟三隻に分乗して心も軽やかにこゝに至り笑いさざめきながらセッセと餅草をつみ、もう沢山だろうと一同腰をおろし脚を投げ出し暖かい日を浴びながらお握りを食べた。前下の美し浜は潮がひると水が池のように残り大小の石が配置よき庭石の如くならび、手前の方には円形に造つた庭木のような草が所々に生いて、恰かも大庭園の如くその前の方は突兀たる岩に波のくだける景色は海に慣れてる娘達にも心よげに飽かず眺めて居た。暫経て誰かがもう帰ろうと言い出したので皆誘い会つたが一人足りない。声高で呼んで見たがいくら呼ん899

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