女川町誌
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筆者が昭和二十九年のある日江島に行つて現実見たのは、当女川第一中学校に県下代表校長の会があつて、三十数名の先生方を案内した時である。天気は晴れてあつたが、北東の風浪荒れて港には船を入れることが出来ず、南西の海底電信の柱の立つてる方に着けてもらつて、あの嶮峻な坂を登りつめる頃、非常に狭い笹藪の中の道に差しかかつた折に、この病気送りの行列に出逢つたのである。当日は風浪の関係でお伊勢崎の方からでなくテンヤの方から送つたものと思われる。地方の人に聞くとしばしば斯様なことがあるそうである。古くから海上生活を本業とする江島に住む人々にとつて、最も恐れたものは海難であつたと思う。従つて他地方の人々より信仰心が厚い、それは神仏以上に賴みとするものはなかつたのであろう。次に恐れたのは病気である。大正以前は櫂や櫓でこぐ交通であるから急病人があつても思うようにいかぬことが多く、近年こそ医師を特別、島に賴んで常時居てもらうこととして居るが、それすら思うに任せぬ状態であるから神仏にたよる心が、非常に強かつたのは当然であつたと思われる。ここに病気送りの行事が今日まで厳かに行われ、島としては分に過ぎると言いたい程壮麗な久須師神社(仏教の薬師如来)を祭祀している所以でもあると考えられる。因に江島には久須師神社を筆頭に栄存神社・五十鈴神社・稲荷神社等が祀られている。五、出島の民俗風習⑴風習出島は江島と同様に、住民の生業は漁業そして農業と略々限定され、しかも永い間固定して新しい職業は見出されない。それで新しい風習とても発生し様がない状態に置かれている。従つて本島各部落に於ける風習は、所謂伝統的で、旧来の風俗習慣を温存する傾向が強い⑵言語本島住民の言語は概して朴訥で、敬語の使用を誤ることが一般に聞かれる。通常用語の中で、特に耳障になるものを幾つか取りあげて見ると次の様なものである。イラシテ(いらだつて、あせつて)アギレル(あきれる)野郎(十四、五才以下の男子を呼ぶのが普通)コノ畜生(語気急で、代名詞として男女の区別がない)エス(お前―目下の者をいう)ムテキ(大きい事、無敵の意であろう)トベアコ(少しの意)⑶服装婚礼・葬礼共に自分と関係の薄い者へは、袴を着用しない風習がある。ただし鎮守祭の祭礼等に神輿の御供をする場合は、羽織・袴を一般に用いる。⑷風紀従前は漁間(りようま)及び男女の各講社会合、または親戚友人などの来る毎に、歓待の意を表す意味で、男は丁半及び花合と称するものを、女は「ドッ引」と称する賭博を開帳した。然るに近年青年会の起ると共に、会の事業として鋭意之が撲滅885
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