女川町誌
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三、江島娘の頭上搬運京都の大原女、伊豆大島のアンコのように、江島の女も物を運搬する時によく頭上にのせる。船着場の所にある淡水井戸に洗濯する往復には、タライに洗濯する物を入れて頭上に上げるのは殆ど全部の女がそうする。その他船着場舟溜の方から海藻などを運ぶ時も上げてるのを見る。昭和十一二年頃までは肥料桶や麦の大把を頭上にあげて運ぶのを見たものであるが、近頃は左様な光景は少ない。この風俗は観光者に喜ばれ、カメラマンの魅力でもあるのであるが、江島の若い人々は恥じるようになつて、カメラを向けると頭からおろす者さえあるようになつた。重量の点からいうならば、今でも七、八貫目位のものは運ぶそうであるが、昔は米一俵位運ぶ女もあつたと云つてる。しかし斯様な習慣は女のみに限られた習慣で、男は肩にのせるのが昔も今も同じだと云つてる。これは肩の構造が男女異るためであろう。それにしても江島の女に何故斯様な習慣が生れたかを考えて見ると、これは地理的自然的環境が然らしめたのも一つであろう。江島の住宅は島の断涯の上に、或はそれより上にと急勾配の所に階段をなして建つて居るので、船着場から家庭へ物を運搬するのに、手にさげると階段に当るので、肩にするか頭にするより外に仕方がない。そこでこの習慣が発達したものと推測される。衛生上から容姿の上から見ても何等差支がないようであるから依然持続したいものである。四、江島の病気送り(江島)病気を送る民間の風習はまだ絶無ではない。例えば家族の病気がはかばかしく治らないと祈禱をしてもらう。そして「何々のたたりであるから、夜中に小豆飯のおにぎりを三つ、三方の辻に上げて帰れ。帰りには必ず後ろを見るな」と言うようなものである。江島では三方の辻でなく海であるそうだ。しかし斯様な個人的の行事の外に、江島には団体の病気送りがあることは珍らしい。それは島内に流行性感冒とか流行的な下痢とかいうような悪病が流行すると、婦人や子供達が悪病送りとか、病気退散とか書いた小旗を持ち、かやなどにて舟の形のものを一つ大きく作り、 各自小豆飯のお握などを持つて薬師様に集合し、礼拜してからその小舟にお握りや人形をのせ、数人でこれを持ち行列をつくつてしめやかに、お伊勢崎手前の足島に向つた人形ころばしという所から海岸に下り、一切のものをその舟に積んで送り出すのである。884 江島娘の頭上運搬

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