女川町誌
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一、女川地方の年中行事昭和三十三年から正月行事と盆行事を太陽暦で実施してるので、旧暦による家庭行事と交錯するような所もあるが大体次の通りである。正月元日は早朝元朝参りをしてから一家揃つて雑煮を祝う。二日は商家は売出し、他の家では買初に行き福引や景品を貰うのを喜ぶ。三日までは雑煮その他の餅をたべ、四日朝は白飯にトロロの家が多い。五日は雑煮を祝い農山漁村地帯には休む家が多い。六日農村地帯の部落は若木迎をする。七日七草がゆをする。七草をたたく時は「唐土の鳥が因幡の里に渡らぬさきに七草たたけ、七草たたけ」ととなえるものだと言つている。十一日農始め。早朝起きて農村部落ではワラ仕事をする。十四日餅をダンゴ位の大きさにとり、木の枝に十数個つけて神棚に供える。十五日一切の松や七五七飾を取りはずして神社の境内などに送り又鳥追する部落もある。太陽暦に改めてから松送りを七日に行う家庭もある、町行事としてはこの日(陽暦一月十五日)成年式を挙行している。正月初旬には春祈禱と称し獅舞が各戸を巡る。二月朔日小正月と称して餅をつき神前に供え、又この日年祝などもする。三月三日の節句は雛祭り桃の節句であるが、女川地方は気候の関係もあり旧暦で行つている。供物としては若い蓬を入れた菱餅や白酒桃の花などである。二十一日頃は春分で中日の墓参は昔ながらに行われている。そして殆ど餅をつく。四月八日これも旧暦に行われるが、釈迦の誕生祭りとか花祭りとか言つている。神社の祭典は職業上の関係にや、昔から殆ど春で太陽暦の四月に行われるものが多い。村社は各部落に殆どあるからその数も多い。然るに長い旧慣として自分の部落鎮守社の祭典には、親しい親戚知己を招ぐか赤飯を配る。これが主婦の労力となり一家の冗費とも思われるというので、女川実業団と鷲神実業団の話合となり、数年前から同日祭典に改めたら、同調する部落が石浜・宮ヶ崎・小乗・浦宿と出来、今や六鎮守社六部落が同日の祭典となり、まだまだ伸びる傾向である。五月三日は憲法記念日、五日は児童の日で、国家の祝日であるが、三日は学校・官庁・会社等の休日だけで民間行事は五日の方だけである。それも旧暦五月五日である。この日は端午の節句菖蒲の節句などと称し、殆どどこの家でも前日夕方軒端に蓬と菖蒲を差し菖蒲湯に入り、五日の朝は餅をついて祝う。都会では華美な武者人形を飾るが、女川地方では見当らない。但し数日前から鯉旒は勇ましく空中を泳880

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