女川町誌
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その反面教養娯楽の如き生活にうるおいを持ち、生活を楽しむということは忘れられがちである。教養面では女子の季節の洋裁・和裁と夜長の男子の夜学といつたように海(おき)を相手の漁業である為め夫々限界があり、又他出の青年が益々多く思うような活動ができない。娯楽面では旧正月の島なりのレクリェーション、祭典の際の歌や踊等が唯一最大のものとなつている。娯楽の施設がないので、老人や婦人のレクリェーションと名のつくものは、囲炉裏を囲んでの沢庵漬を食べながらお茶飲み話が精一杯というところである。第四節寺間聚落の概観一、寺間集落の立地女川湾に面し、幅五〇〇米程北へ湾入した小湾があり、更にその支湾が東に湾入している。これが寺間の港である。この支湾に続く谷が入込んでいる。谷底の幅は約四〇米―四六米。谷壁は頗る急峻で三〇―四〇米の絶壁をなし、谷底は小さな流れをなしている。これが寺間の集落が発達している処である。湾の奥から東西の方向に約二〇〇米の谷底が、元来の集落のあつた場所である。その上流の谷底は傾斜が稍急で且つ谷幅が狭くなるが此所に明治以後集落が拡張した。また小山をへだてた小坪という処は、元海岸に納屋などのあつた処だが、大正十四年から町有地(地元部落有地)を払下げ、漸次家が建てられた。かくして現在は寺間全体の部落の戸数は一〇七戸にも及んでいる。二、寺間の港873

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