女川町誌
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地帯との交際が繁くなり、選択の範囲が広くなつた為め血縁関係はうすくなつて来た。然し部落の中少数の移住者を除いては、全部親戚関係があり、同姓を名乗るものが次の如く大部分を占めている。木村氏二〇戸須田氏四四戸植木氏一七戸阿部氏六五戸二、家族関係親子関係、夫婦嫁しゆうとの関係、或は長男と次男等の関係等は、農村地帯と同様に憲法や民法の改正による家族制度の形式的廃止とは無関係に、封建的な名残りを止めている。反対にはき違えた自由主義の考えから親をないがしろにするという傾向は見受けられない。漁村地帯の特長として夫(男)は漁に、妻(女)は畑にと仕事の分担はほゞ確然としている。これも漁村の特色であり、共通の傾向を持つのであるが、昔から貰い子(男を主とする)が多く、家族の一員として育てられ主として漁業に従事している。三、文化と娯楽施設尾浦の岬と出島との距離は僅かに三〇〇米に過ぎないので、海底線の必要もなく空中線により、大正十五年には電灯がつき、電話も昭和十五年に架設されて島外との連絡は非常に便利である。郵便局もあり、医療機関も太平洋戦争後は診療所も設置した。更に昭和二十七年に総坪数七十一坪、ベット数十一の出島診療所が改増築され国民健康保険組合も設立され、大手術を要する患者以外はすべてこれを利用している。更に寺間にその分室をという声もある。余暇を利用して教養・娯楽を高めるという動きはあるが、狭い地域に多数の人口を養い、而も乏しい天然資源の中に生活を維持しなければならないので、一にも二にも勤労勤労と働くことを尊ぶ美風がつくられている。872
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