女川町誌
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も漁業を行うことが勝つていることを悟り、漸次製塩を捨てて近海漁業に移つた。即ち三、四月の鮑漁は優に一か月の生計を支えることが出来ることを知つたので、断然近海出漁に転向したのである。更に近年三十年間の人口の増加は、漸く近海漁獲物でも、到底住民の生計を維持することが出来なくなつたので、ここに敢然として遠洋漁業に走り、鰹・鮫などの漁獲を目指して発展したのである。そして船体もまた新式の発動機船を用いる様になり、地先漁業当時とは比較にならない進歩を示すに至つた。一面、近海・遠洋等の漁業に従事しない婦人等は、各自所有の林野を開墾して穀物や野菜の増収に努めるなど、男女が相呼応して生活の更新を図つた為に、畑物の収穫は肥料の使用と勤労とに相俟つて予想以上の成績をあげた。加うるに従来濫伐されて小禽類の棲む木蔭さえなかつた山野も、十数年来杉松等の植林事業が進行し、やがて欝蒼たる森林を見るに至るであろうと推測される状態になつている。特に本島生業の中心をなす漁業の現況について見るに、従来の島の磯もの、即ちあわび・わかめ・たこ・うに・のり等に依存して生活を営むことは非常に困難になり、地先だけの漁業に依存することをあきらめ、若き人々は大型の漁船に乗り込んで、北はアリーシャンから南は赤道をこえ西はアフリカまで、遙々と遠洋漁業に雄飛している。しかし本島所属の大型船として該方面にまで活躍しているものは、鰹船二隻・独航船一隻と鋼船一隻との四隻に過ぎない。なお数年前より小型発動機船・デイーゼルエンジン船が現われ、現在は出島に十九隻、寺間に十六隻を数えている。隻数に於ては近隣の島浜で第一位を占めているということである。この小型船は主としてシラス(いけ)・イワシ(いけ)・イカなどの漁獲に利用され、現在は「はい繩」に多く使用されている。定置網は四か統で、漁獲物は主として鰹の餌であるイワシの漁に用いられている。また養殖としては870

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