女川町誌
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四、出島の交通往昔は出島から女川浜や石巻に行くに、小船で尾浦に渡り、御殿峠を越えて女川浜に至り、それから石巻まで馬で荷物や魚介などを運搬したという。また公用便には「ふなぶ」を用いたと伝えている。戦前は桃生郡雄勝から女川に至る定期巡航船が、出島に朝夕一回寄港したので、寺間の人々は山を越えて出島まで出向つてこの船を利用した。今は船の往来の回数も増加し、出島寄港船は往復六回、寺間寄港は二回となり、他の島浜に比べて非常に恵まれている。また島内の交通は中央部の丘陵の脊骨の様な所を通る出島・寺間々の細い一本の里道によつている。第二節出島の住民と生業一、出島の住民出島は出島と寺間との二部落に分かれ、前述の湾に臨み、その集落形態はそれぞれ地形に拘束を受け、またその地勢を利用しつつ発達している。出島部落は純漁村型で、海岸から後方の山あいに延びて階段式の集落をなしている。しかし水利が悪いので、天水を利用している家々が多い。寺間部落は沢添いに発達した山村型の集落である。近年増加しつつある分家や移民の住居は、この沢添いが飽和状態になつたので、丘陵を越えた小坪方面に新集落が延びている。両部落共に海産物以外は天然資源に乏しいので、これ以上戸口の増加発達は望めない状態に置かれている。868

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