女川町誌
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二、或る無人嶋の話(詩人白鳥省吾氏が昭和二六年江島・足島を訪ねた折の紀行文である。氏は本県栗原郡の出身者)女川港の港外二十数キロほどの沖合に、足島という無人島がある。周囲僅かに十数丁だが、鷗と善知鳥(うとう)の繁殖地として知られ、善知鳥は土中に巣を掘るもので数も少いが、鷗は五月の期間に約六、七万も集り、それが島に群がり棲み、空に群飛している。私は観光協会のA氏の案内で発動機船に友人の音楽家と共に同乗して行つた。時間は一時間以上もかゝたろうか。善知鳥はよく魚の集合を知つて、その場所に群がり、まるで掘るように魚群にもぐると鷗が集つてそれを拾うように食う、それを見て漁師は魚の集合を知り舟を漕ぎ寄せて魚を網で取るというやうな面白い習性がある。足島は全島が花崗石で、その上を土が掩うて椿・つゝじなどの灌木や雑草が茂つて、大木は全く無い。土が浅いためであろう。鷗はその啼き声から海猫と言はれている。私達が発動機船を岸につけて、島に飛び下りた時は、ちうど繁殖期で大空は鷗の群飛で天日為めに暗しと言ひたいくらい、ミウミウという其の啼き声で、私達の話し声もきゝとれないくらい、「こりや大変なもんですね」と驚く外はない。これらの騒ぎは人間が来たから騒ぐのではないので、間断なく騒いでいるらしい。巣はごくそまつなもので、西洋皿大に枯草や羽毛をやゝ窪く集めただけで、きまつて二個宛雞卵大で、コーヒー色をしている。路ばたにむき出しに出ているのもあれば、叢の蔭にあるのもある。海岸ちかい磊々たる大石と大石の間には殊に多く、孵化したばかりの雛は石と石との割れ目に必らず身をひそめていて、平面の上にうづくまつているものは絶対に無い。今にも飛び立ちそうに大きくなつているのも居る。何しろ、其処にも居る。此処にも居ると指呼にいそがしいほどであるから、全島の繁殖は大したものであろう。どれが、どの鷗の卵と見境のつくものであるまいが、ともかく、人間が来て、ステツキなどで説明するのは不快らしく、低く飛んで来ては人間を威嚇する調子で叫ぶ。A氏は、「鷗もなかなか性(しやう)があるもんですよ、この前に来て、私がステッキを振りながら説明していると、憤つたらしく、私の鳥打帽子をくわえて飛ばされましたよ。」という。鷗は雪のように白いものだが、雛は鳶などのように茶褐色なのも一つの発見であつた。親鷗と並んで崖の窪みに立つている雛などは、私達を眺めているようで、なかなか可愛いものであつた。人間を眺めながら、此処は高いので安全地帯だという風にも見える。足島は金華山島とは、やはり十数キロも離れていると思うが、金華山島が同じ花崗石で大きい島なので、其の足だという意味で足島と呼ばれたものという。如何にも漁師らしい雄大な見方だ。海に寝そべつた素晴らしい巨人でもあるだろう。861
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