女川町誌
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書出にも壱貫五文とあるので変化のなかつたことが知られる。なお安永年間の海上高は拾弐貫六百十六文で、六十年後の天保元年には十三貫二百文となつている。江島は言うまでもなく漁業が生業の主なるものであつたことが知られる。然るに天保頃の饑饉と目抜漁船の流失などにより、戸口が大いに減少し、安政四年の調べによれば戸数が五十四戸、人口二百八十八人となつている。その後明治七年に至り、戸数六十二戸、同十二年には六十三戸という様に遅々として増加しなかつたが、明治・大正の時代を経て昭和二十七年には、百五十一戸・千五百五十一人を数えるに至つたのである。明治七年に於ける江島住民の名字別戸数木村一三小山九斎藤九中村四浜野三浅野二稲葉二阿部二山田一島田一佐藤一今野一山本一浜田一西野一鈴木一坂本一沢村一吉田一井上一門脇一宮淵一橋本一宮元一(計六〇)おな総説戸口の頃の姓氏調査(明治十年)と対照せられたい。昭和三十二年に於ける江島住民の名字別戸数木村三〇斎藤一七小山一六中村一一稲葉七浅野四浜野四阿部七橋本三島田三高橋三植木四佐藤三渡辺二浜田二沢村二大友一門脇一宮淵一井上一千葉一金森一黄川田一新田一山本一熊沢一伊達一金沢一滝浜一西野一山田一今野一伊藤一宮淵一桜井一(計一三六)三、江島の気象江島は陸地に比し海洋の影響を受けることが多いので、四時温和で暖帯性の植物が繁茂している。各季の最低温度836
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