女川町誌
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ところが昭和十六年以来の商港修築が完成近ずき、二十二年来の漁港修築も南部完成、北部着工となり、一億を投じて上水道の着工となり、観光事業がすばらしく伸びて行く情勢となり、昭和十年頃に比べると、女川港の発展は所謂大女川への第一歩を踏み出したかの感があつて、当時のものではこの状勢に合わない点が多くなつたので、町民が共に唄う上からも観光宣伝的意味を強く持たせる点からも、一層考えねばならぬことになつたのである。そこで詩人白鳥省吾氏と、仙台放送局の音楽家武田忠一郎氏とを頼んで、新女川音頭の作詞作曲をすることゝなり、昭和二十七年六月両氏を招いで、陸上海上の名勝を案内し次の通り作詞作曲成り、之をコロンビア会社に於いて吹込み、約二十五万円を投じでレコード五百枚を買入れた。女川小唄と新女川音頭824
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