女川町誌
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鈴吉汽船が九割以上を独占して来たために、石巻・金華山・石巻という習慣であつたが、近年石巻・金華山・女川コースをポツポツ始め、三十四年の如きは三十数本の女川発の回遊がが約二十本に激増したことは注目すべき現象である。六、女川音頭の作詞・作曲女川港の築港は明治二十年頃、県と政府の考によつて計画されたが成らず、大正十年頃から漁港としての熱が高まり、気仙沼と一大競争まで演じ、磯村氏の投資により今の女川駅前を中心として昭和四年までに一応の完成を見、更に同七年始めて多年要望の国庫補助県営の漁港修築工事に着手し、十年五月東北大水産研究所の完成をも併せて、港湾修築工事の落成式を挙げた。その時作つた女川音頭は、当時の喜びと当時の町の状勢とをよく謡つている。女川音頭松村義人作詞大村能章作曲823
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