女川町誌
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をうけたので、一般農民の間には「間引」と称し、不用と看做した生児を殺して扶養口数を人為的に減ずるより外はなかつた。従つて戸口の増加を見ないばかりでなく、当時人口減少の現象さえ現われたのである。ここに於て藩は封内の人口の実態を正確にし、藩の富強を図る根本的施策の一として実施したのが人数帳で、今日の戸籍簿の調製であつた。之によつて村々の戸数人数を加除し、常時これを備付けさせたので、その実態が一目瞭然となつた。また生業状態や風俗習慣を異にする市街地等には、更に人数帳を調製するなどの特別措置を講じて人口の増減を正確にした。かくて漸く社会の秩序を回復し、漸次戸口の増加を見るに至つたのである。次に文化九年(一、八一二)に、代官(領内地方の民政を掌り、年貢や公事を取扱つた地方官)より、石巻地方の大肝入阿部与平治に対して令達された人数帳調製に関する通牒をここに取上げて見よう。25

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